2012年12月26日水曜日

へのへの 出産体験記 当日 (4)  誕生

佐久間助産院に戻る。
13:00頃。


玄関に入るなり、またまた陣さんが来て「あぁぁぁー」と四つん這いになってしまう。

そこに佐久間先生と、勉強会に来ていた助産師さんが3,4人奥から続々と出てきてくれて、
佐久間先生、

「あらぁ、いいじゃない。いい陣痛が来たねぇ」

と言いながら

四つん這いになった私の脇に座って、お尻のあたりをグーっと押したり、
さすってくれる。

すると驚くほど体が楽になる。
さすが5000人を取り上げた手だぁ、、、とものすごい安堵感。

「いいよー、頑張ったねぇ。さぁこれからだねぇ」

よかった、進んでるんだ、と思うとホっとしつつ、また
「あぁぁぁぁーー」と陣さんが来るので声を出してしまう。

側にどなたかのお子さんいて、よく姿は見えなかったけど
私の様子を見て、怯えてサーーーーーーーーっと引いちゃったのが気配でわかる。

「ママもこうやって○○ちゃんを生んだんだよ。頑張ってるから応援してあげようね」
というようなことを言っていた、気がする。

ほかの助産師さんも
「いいよ、逃し方が上手だよー。そうそう息を吐いて、力を抜いてね」と
励ましてくれる。


さっき車の中で、陣さんウェーブにうまく乗れるようになった♪と思ったけど、
さらにまた大きな波が来た、という感じがした。


佐久間先生はお産に機械を使わないので、木の筒のようなものを
お腹に当て、
「赤ちゃんは元気よ。頑張って」
と赤ちゃんの状態を確認してくれる。



そして二階の入院室ともなる和室に行き、ビーズクッションに身をゆだね、
それからはひたすら、マサキ君とふたりで、陣さんに耐え、
ママディしゃんの通り道を開くために、ただただひたすら頑張るのみ。


陣さんが来ると、「来ましたーーーー」と私が言い、
マサキ君は服の上から肛門のあたりを拳でグーーーーっと押してくれる。
わたしは「あぁぁーーーーーーー」と全身で声を出しながら力をぬく。


‘肛門を拳で押す’というのは陣痛逃しにすごくいいらしく、
経験者の方からけっこう聞いていたのですが、ほんとうに体が楽になる。


マサキ君もへとへとになりながら、汗だくで頑張る。





それはまるで、絶対に開かない、重い重い岩の扉を、
指先だけでどうにかこうにか開けようとしているような・・・・・

ありえないけど、海がパックリ割れて、通り道ができるように
ひたすらひたすら祈り続けるような・・・・・・・


 そんな時間だった。





ところで佐久間先生は、紹介してくれたバディニャのKちゃんがお産のときは
陣痛は夫婦ふたりにまかせ、下で切干大根の煮物をしていたという(笑)


私のときも、要所要所で顔をだしてくれるものの、基本的には
夫婦ふたり。


でもそれが一番、お産を進行させてくれるのだとか。


 立ち会い出産を希望する場合、

「どなたがいらしてもいいですよ。

 ただし‘見学人’はいりません。

 一緒にお産をがんばってくれる人なら、どなたがいても結構です」

とおっしゃっていた。

その意味のとおり、まさにマサキ君と二人で、お産をしたような経験だった。

・・・・・




「陣痛が来たら目を閉じちゃダメよ」

先生にそう言われて、ついつい目をつぶってしまうところ、
目を開いてなんでもいいから(ふすまの模様とか、座布団の柄とか)見つめると、
不思議と痛みがやわらぐ。


おそらく目をつぶって闇の中に入ってしまうと、痛みに意識が集中しすぎてしまうから
なのか。


産後なんで目を閉じちゃいけなかったのか、 佐久間先生に聞いたら


「先に進むためには、目を閉じてはダメなの」


とおっしゃっていた。

すごく漠然とした答えだけど、妙に納得。



その後1回子宮口をチェックしたら開大5cm。
いつチェックしたのかは忘れてしまったんですが、、、、、


そしてどうやら頭が真下に降りていなくて、子宮の右側につかえているので、
今度は布団に横になり、右、左それぞれを下にして
5回ずつ陣痛が来たら、体制を交代する。


「あぁママディしゃんも出ようと必死に頑張ってるんだ。
 ママディしゃんがんばれ~」と
応援しつつ、何回繰り返したろうか・・・・



そのうち、佐久間先生の妹さんである、やはりベテランの助産師さんが来てくれる。


「いい陣痛よぉ。がんばろう。
 破水から始まったのね、痛いねぇ、痛いけどがんばろうねぇ。
 じょうずだよー。がんばろうねぇ」

すごく優しい先生で、お腹をさすりながら応援してくれる。
また木の筒をお腹に当て、ママディしゃんもとても元気で頑張っている、
と教えてくれる。


これも後で知ったのですが、破水から始まると、やはり普通より痛みが強いらしいです。


要は、風船の中から頭で押されるのと、
風船がやぶれて、頭でじかに押されるのとの、違いらしい。


事前にリラックス用の曲をiPodに入れておいたり、
洋子姉ちゃんがブレンドしてくれたアロマオイルやアロマスプレーを
準備しておいたけど、ぜんぜん使えなかった、、、、(涙)


また、ふと陣さんウェーブの乗り方がうまくなったか・・・・・!?と
思ったのもつかの間、さらにさらに大きな波がきたーーーーー、

「うぉあぁぁぁーーーーーーーー!!」と自然と声も大きく
ますます獣のようになってきたころ、


ちょうどそろそろ今日2回目の潮時とみて佐久間先生が戻ってきて、

「おぉ、上手だよー。いいよー、お尻のほうにグっときたかなぁ?」

と言うと、マサキ君が


「なんか今までと違う感触で、だいぶ押して来てます」と答える。


すると先生

「そうね。さぁ、どうする?なつきちゃん、頑張っちゃう?
 
 この次は夜になるわよ」と。



もうこの時点で最終段階に体がきているのを感じ、「がんばります」と答えると、
隣の分娩室に移動する。


「出産は分娩台でも、そうじゃなくてもいいよ」


と前から言われていたんだけれど、私は強く「こうしたい」という希望を最後まで
先生に伝えていなかったので、流れでやはり分娩台に乗ることにした。


ほんとうは・・・・分娩台でなく、和室でそのまま座ってか、四つん這いか
マサキ君につかまって生みたいと思ったのだけど、
なんでそれを伝えなかったのか。。。

じぶんでもよくわからない。







分娩台の乗ると、これまた今までとはまったく違う大きな波がくる。

もう痛みも感じない。

たぶん脳内モルヒネ全開で、完全に麻痺状態。

ただただ圧倒的な、大きな大きな波がくる。




波がくると、今までと違って、逃さずに、いきむ。


波が去ると、体が完全な静寂にはいる。




「じょうずよーいいよーその調子よ」

先生の声がときおり聞こえる。


なんどかいきむと、


「ほら!頭が見えてきた。お父さん、ほら!」


と私の枕元にいたマサキ君に頭が出てきたところを見せる先生。



おおぉい、見せちゃうのかい!と内心ツッコミながらも、

「なつきーがんばれ!頭が見えてきたよ!もう少しだよ」と
半泣きになりながらも、嬉しそうに応援してくれるマサキ君。


「さぁもうすぐだよー頑張れー。じょうずよーいいよー」

先生はとにかく褒めてくれた。



そしてまたなんどかいきむと、


「ほら、生まれる!お父さん、カメラは?カメラ持ってきたんでしょう?」


せかされて慌ててカメラを取りに行くマサキ君。




すると・・・・・

ついに開門。海が、割れた。




「オンギャーーーーーーンギャーー! ンギャーーーー!」






元気な元気な産声が・・・・・・



平成24年7月2日 16:05
石田森(当時ママディしゃん)誕生







満潮 16:24(銚子)





産道はもちろん切られることも、ありがたいことに裂けることもなく、
出てきた、きれいな真っ赤な赤ちゃん。


お互い号泣しながら、すぐに抱きかかえると、おっぱいに吸い付く。

それから産湯に入れられたり、計測されたり、
その間ママディしゃんはずーーーーっと大泣きしてて、
わたしは早く赤ちゃんを戻してほしいなぁ、とずーーーーっと思ってて、

戻ってきたママディしゃん、私の側にくるなり、ピタっと泣き止んで

ちっちゃなちっちゃな冷たい手で、さぐるように私の顔を、 静かにペタペタ触りながら
なんだか私を確認していたみたい。。


「これが、お母さんなんだね」って。


無言でお互い、初めましてって挨拶していたような・・・・・



あの感触は一生忘れられないと思う。




この写真、なんど見てもたまらなく可愛いのはきっと
世界で私とお父さんだけだね(笑)



お誕生おめでとう。

よくがんばって出てきてくれたね。

すばらしい体験をさせてくれてありがとう。

この日の感動は一生の宝物。

なにがあってもこの日の記憶が、これからの私たちをきっと支え続けてくれる。


(当日のほかの写真はこちらから)

2012年12月20日木曜日

へのへの 出産体験記 当日(3) 海

佐久間助産院到着。

ドライブ中に、なんとなく陣さんが和らいでいたせいか、
私が意外とケロっとした顔をしていたので、先生はちょっと驚いたようす。



予定日3週間前の内診で、子宮口が少しずつ柔らかくなってきている、と
先生に言われていたので、たぶん先生も私も、
この時点で、それなりに子宮口が開いてきてるのでは?と期待したものの、、、、、


見てみたら、たったの1.5cm程度、、、、、、、、、
(出産には開大10cmが必要)


がーーーん。。


これじゃまだ序の序の口。



こんなに強い陣さんだと思っていたのに、
まだスタートラインにも立てない状況だったなんて。。。



「これじゃ今ここにいても何もできないわ。
 どうする?
 一度家に帰ってもいいわよ。
 その辺散歩してもいいけど、まだだいぶ先になりそうねぇ」


がががーーーーーーーん。。



ヘタレな私はこの時点で、嘘でしょー、とまた泣きべそかきたくなりましたが、
ちょうどその日は、助産師さんたちの勉強会があって、
なんどか検診の時にお会いしていた若い助産師さんもいて
みんな口々に励ましてくれて、なんと嬉しかったこと・・・(涙)

「最初はみんなそうなんだよー。なかなか進まないんだよね。
 でもだいじょうぶ。
 みんなそうやって耐えて産むんだからねぇ。
 今はまだまだ体が楽だから、いまのうちに色々やり残したこととかやったほうがいいよー」


えー、これで体が楽なんですかー?!


と思いつつ、そうやって皆さんと立ち話していると、だんだん立っていられないくらい
強い陣さんになり、なんどか話中、立て膝をついてしまうようになる・・・・


そう、この時点でまたググーーっと引力にひかれるような
感触があり。


そんな私を見つつ先生は、

「あら、いいじゃない。いま潮がいいからね。
うまくいけば進むわよ。
でもまだまだよ。
どこか旦那さんと出かけてらっしゃい」


というので、産院から車で30分程度で行ける海に行くことに。





「あぁー海がみたい。潮風を飲みたい」と
その時、心から海を渇望していました。



移動中の車中でも、なんども体をのけ反らせるほどの強い陣さんに
耐えつつ、
ようやく九十九里浜に到着。



やはりいい潮になっているので、サーファーの車がたくさん。
熊谷ナンバーの車があったのを覚えている。


でも砂浜から少し離れた松林の脇にしか車が止められず、
砂浜までは歩くことに。


車から降りるやいなや車にへばりつくように、陣さんに耐え(笑)

ちょっと歩くともう立っていられなくて、「あぁぁー」と唸りつつ
すぐ四つん這いになってしまう。


もう身だしなみも気にしていられない感じだったし、
きっと周りのサーファーさんは
「?!なんじゃこの妊婦は?!こんなところにいていいのか?!?」
と思われたに違いない(笑)


海風も想像以上に寒くて、羽織ったショールも風になびくし、、、、


でもどうしても海が見たくて、将来君に支えられながら、どうにか一歩ずつ必死に
進む。


ようやく砂浜について、海が見えた。




きもちいいなぁ




 朦朧としたなかにも体が感じる、きもちがいい感覚。



あぁ海だァ



と開放される感覚。




この感覚が、どうしても味わいたかった。




妊娠中いちどだけ、海を見に行った。

そのとき、お腹の中の羊水と、海とか溶け合うような、一体化するような、
そんな錯覚とともに、
お腹の赤ちゃんが、海を母と感じているような、そんな感じがした。


臨月に、とにかく砂浜をいっぱい歩いたという超スリムでかわいい
Kカフェの奥さんはふだん大した運動もしてないのに、
初産で、超スピード出産だったという。



海のパワーをいただいたぜぃ!


と将来君に支えられながら海を見つつ、心の中で必死にガッツポーズをして、

また「うーうー」唸りながら、なんども四つん這いになってはまた歩き、
砂まみれになりながらどうにか車に戻る。



その時すでにお昼前だったので、多古町の道の駅で昼飯を買うというので
また産院のほうに戻ることに。



途中のコンビニで、私は駆け込むようにトイレで上からと下からぜーんぶ出してしまう。

もう空っぽになった感。


まさに、‘ゼロになる体’・・・



なるほど、薬を使わなくても浣腸なんかしなくても、
ちゃんと体がぜんぶ出してくれるんだ、と妙に感心したりして。




トイレでも四つん這いになっちゃうし、しばらく出てこないし、
これまた凄い形相に店員さんも驚いたでしょう、、、




腹減ったとバクバクご飯を食べるマサキ君を横目にもちろん食欲などなく。

車の窓の上についてる手すりにしがみついて、体を仰け反らせ、
「あぁぁぁーーー」とひたすら
車中で 陣さんに耐えていると、仲違いしていた姉から謝りのメール・・・



こんな時に返信できないよーーーと思いつつ、やっぱりどこか体がゆるんだ。
嬉しかった。。ありがとう。



しかしマサキ君はそんな私を見ても、みんなのうたの「6歳のバラード」 の替え歌
「おとこのこですぅ~♪ 
 ディッシャン(このときママディしゃんの略語でこう呼んでた・笑)ですぅ~♪」

などと呑気にまた歌なんかうたったりして、飄々としてて(笑)


隙を見て「太鼓でも叩きたいなぁ」オーラ丸出しで(笑)


でもそんなのが逆にすごく救われて。



そうやって、声を出しつつ陣さんを逃していると、
「あれ?なんかうまく陣さんウェーブに乗れるようになったかも?」と

ふと楽になった感触があった。



さて、昼飯も食った。

どうする?とマサキ君。(「オレは太鼓叩きたいけど」と心の声・笑)



「太鼓なんか叩いてる場合じゃねぇー!」と内心思いつつ、

んんーーこれでまた戻っても「まだまだ」って言われちゃうんだろうけど、、、

と思ったものの、このまま車の中でひたすら耐えるのも体勢も辛い、と
やっぱり一度、産院に戻ることに。


このとき12:45くらいかな。



そしてまた佐久間助産院に戻ったのでした。


つづく


2012年12月19日水曜日

へのへの 出産体験記 当日(2) 陣痛の痛み

ところで将来君といえば、臨月に入ってからなんだか家にあった
野口晴哉さんの『育児の本』を読んだばかりに、

出産は本来無痛で行われるもの

というのを信じていて、陣さんが始まっても

「ほんとに痛いの?痛いと思うから痛いんでしょ」などと
また呑気なことを言っていました(笑)


私もその本を読んでいたので、ほんとは思い込みなのかな、と希望的観測で
いたのですが、とーーんでもない!


さすがの晴哉さんも経験者ではないわけで、これは思い込みではない、と断定(笑)


でもやはり「痛い」と思うと、余計に痛いのは事実なわけで、
とりあえず「痛い」というワードは、頭の中から消すことにしました。
たぶん、「痛い」という言葉も一度も発しなかったかな。

そうすることによって、体が感じる実際の痛みもだいぶ違ったのではと思います。


そもそも実際にそれは今までに経験のない感覚で、
いわゆる「痛み」とも
なんとも種類の違う感覚だったような気がします。


だから陣痛の痛みは誰に聞いても「どんな痛み?」という問に対する、
正確な答えがない、、、


よくブルドーザーでお腹を走られるような、とか
スイカを鼻の穴から入れるような、とか
言われますが、、、
んなわけない(笑)


それは経験者にしか絶対にわからないからなんだなぁ、と。


私は痛みというより「ちから」「パワー」と感じました。
圧倒的なパワー。
という表現が一番近いような・・・・




話はそれましたが、佐久間助産院まで車で約1時間。


ふつうに考えたら、ちょっと家からは遠いと思われますが、あとから聞いたら
1時間前後はちょうどいいらしいです。


テレビでやるように、急に「う、うまれる~~~~~~」なんていう陣痛には
普通はぜったいならないわけで(笑)、ちょっと余裕を持って、ゆっくり向かう
くらいでちょうどいいんですって。

あっという間に生まれる人は実際にいるみたいですが、これは家系によるところが
大、だそうです。

お母さんが、「あなたはすぐ出てきちゃったのよー」という人は、そうなる可能性が
高いけど、普通~遅かった人は、まず無いとのこと。



と、ちゃんと事前に聞いてたのに、まったく私はきわめてご都合主義?な性格で、
マサキ君に「ちゃんとバスタオル持った?」なんて確認したりして(笑)

この時点でもまだ、「私は早く生まれちゃうんじゃないか」という勘違いを
拭いきれずにいました。


が、産院についてまたまた現実にぶち当たることになります。



つづく





2012年12月15日土曜日

へのへの 出産体験記 当日(1) はじまり

7月2日(月) 40週1日    旧暦5月13日 大安 

佐久間助産院(千葉県 多古町) 助産師:佐久間早苗先生




満潮 2時26分(千葉)



夜中の3時すぎ、お腹から「ポン」という音がして目が覚める。


破水すると音がすると何かで読んだから、あわててトイレに行くと、やはり
「じゃー」という感じで水が出ている。

間違いなく破水だと思い、佐久間先生に電話。


「あの、破水したみたいなんですが」

「そうですか、わかりました。
 それじゃそのうち陣痛が来るでしょうから、しばらく様子を見てください」


・・・・あれ?

だいたい本や体験談だと、破水したら羊水がどんどん漏れて、赤ちゃんが危なくなる
可能性があるから、ふつうは即産院へ行く、と書いてあったけど・・・、行かなくていいの?!


破水したら2時間後に生まれちゃった、なんていう体験談を聞いていたし、
勝手に自分は超安産でスピード出産に違いないと思い込んでいたので(笑)
わたしもすぐ生まれちゃったらどうしよう?!なんて思いつつ、

この道50年、とりあげた赤ちゃんは5000人以上の佐久間先生のいうことだ、

とちょっと不安はあるものの、いちど電話を切る。





するとすぐに陣痛とおぼしき、今までとはまったく違う痛み(かなり強い生理痛のような痛み)が
やってくる。


きたよーいよいよ陣さんだぁと舞い上がってくる私。


すぐ電話。


「陣痛がきました」

「そりゃくるわよあなた。だからしばらく様子を見てください」



「なんかどんどん水も出ているようなんですが、まだ行かなくていいですか?」

「まだまだ。
 水が出てくるっていうことは、まだ頭がちゃんと降りてないということ。
 蓋がされてないってことでしょ。
 こんな夜中に来る必要ないわよ。

 それより今はゆっくり朝まで寝なさい。」



「でもかなり痛いんですが・・・」

「・・・陣痛なんだから当たり前でしょう」


今から考えればバカみたいな電話をしたもんだと思うけど、やはりいざとなると
慌てるもので、、、気が動転していたのがよくわかる(笑)


最後の検診のとき、佐久間先生に

「私は時間や数字は聞かないからね。その代わりに
あなたの体がどういう状態かを聞きます」


とはっきり言われていたのに、
なかなか寝付けないので、痛みがくるごとにおきて つい陣痛の間隔を時計でチェック。、、、


5時くらいには不規則ながら5分おきくらいになる。

「もしやもう生まれるのでは」などとまたかなり見当違いな思いで

また電話(笑)


「なんだかもう5分おきくらいに痛みがあるんですが」

「最後に私はなんて言いましたか?時間は聞かないって言ったでしょう」


「はい。でも・・・」

「あなた、自分に都合のいいふうに考えすぎよ」

ピシャーっと図星をつかれ、、、、


冷静になり、ついに観念(笑)

そうか、今はまだほんの序章で、この痛みをしばらく耐えるのね、と腹をくくる。


「とにかく冷やさないようにね。

 女の体はお餅と同じ。温めればあたためるほど、ふわふわに柔らかくなるのよ」


・・・・
「とにかく冷やさない」

これは妊娠中、再三先生に言われ続けたこと。

「梅雨明けまでは防寒」ということだったので、私は妊娠中はずっと防寒対策。

寝るときは柔らかい素材の湯たんぽで背中から腰をあたたため、
靴下やレッグウォーマーは欠かさなかった。

・・・・



それからなんとなく7時くらいまでは横になりつつ、最後の入院支度準備。
マサキ君も起きてきて朝ごはんを作ってくれたので、8時過ぎに朝食。

食欲はぜんぜんなかったけど、まさに体力勝負になるわけで、
途中「うぅっ」と箸を止めつつ、なんとかいただく。


この時点で、陣さんはかなり強く痛みだしていたけれど、でもまた電話したら
「まだまだ」って言われちゃうだろうから我慢だなぁーーーと思ってると
佐久間先生から電話。


「どうですか、何か変化はあった?痛みはどう?」

「もうかなり痛いです。」


「お尻の方に押す感じはありますか?」

「よくわからないけど、押しているような気もします」


「そうでしょう。あれから全然連絡ないからどうしたかと思ったわよ。
 そろそろ潮時だからね。
 準備して来てください」


やっと行ってもいいのかぁ、とちょっと安心。
このときたしか8時45分くらい。


干潮 8時55分(銚子)


潮を見て電話を下さった先生。これが本当の「潮時」の使い方だぁ、と
のちに感心(笑)


 この日も最高気温は25度くらいだったみたいだけど、靴下は2枚履き、
愛用していたプレゼントでいただいた柔らかい湯たんぽを持って、
いざ車に乗り込む。


マサキ君は万が一、車の中で生まれてしまった時のためにバスタオルを準備。


座席に乗って、湯たんぽを足に挟むと、少し痛みがやわらぐ。


何度も通った道を走りながら、

「あぁついに、ついにママディしゃんに会えるんだ」

そう思うと、なんだか泣けてきて、涙が出てきてしまった。


多古町まで車で約1時間弱。


途中もちろん生まれることもなく、なんとなくドライブで気分もよくなり?
ついに佐久間助産院に到着しました。


つづく