2012年4月5日木曜日

勉強のできる バカ

春のデトックス・シーズンらしいタイトルでスミマセンm(_ _)m

先月Natural Studioであったスローマザーカフェ。
ゲストのアンニャ・ライトさんが言いました。


「ニホンはこれだけ高いレベルの教育を受けている人がいるのに

 なぜこんなに地震の多いところに、こんなにたくさんの原発を作ったんでしょうか」


・・・・・・

目を覚まして考えてみれば、あまりにもバカバカしいこの現実。




私たちが受けてきた日本の教育は、ただの‘詰め込み洗脳’教育。




まず感性を曇らせ、



路頭に迷った子羊たちに、


「経済発展経済発展」と目の前にオカネをぶら下げて


情報によって振り回して動かす。



意図的になのか、これが人間の愚かさなのか・・・・・・






お勉強ができるからといって、頭がいいとは限らない。



いやむしろ、勉強ができるということは洗脳されやすく、傲慢なニンゲンを
つくっているんじゃないの・・・・


それはガンジーの

「真の知識とは、真実 と 謙虚さ を学ぶためにあるもの」


この言葉に出会い、現実があまりにも対極にあるからことに気づいた・・・・・・・。




人間は貪欲なイキモノです。

解ればわかるほど、もっともっと知りたいし、
手に入れればいれるほど、もっともっと欲しい。


その貪欲さから、冷静に見れば本当にバカみたいな、
核、原子力発電、戦闘機なんていう人間の手には負えないバケモノものを
作っちゃった。




余暇を増やすためのものだった労働の機械化。

ヒトの仕事が減って、やれ失業率が高いと騒いでる・・・・

その代わりに、どーでもいい仕事をいっぱい増やして、
余暇が増えるどころか、ヒトはますます忙しくなって
心も体もどんどん消耗して、不健康になってる。



これがバカみたい、とは言えない・・・?





えーかくいう私も、(異論反論オブジェクションあると思いますが(^・ⓧ・) )
お勉強のできるバカでした。
(今はただのバカ?!)


勉強はやればできる、できると楽しいからキライじゃなかった。

でも何のために勉強するんだろう?というギモンは
幼いころからあったから、いつか親に聞いたら
「大人は働くもの。子供は勉強するもの」
と言われ、それでなるほどと思ってしまった。


かなりの勘違いちゃんだった私は高校まで医者になりたかったけど、
あっけなく夢破れ、路頭に迷った。


バカな大学生にだけはなりたくなかったけど、
世界で一番バカでダメな大学生になった。



じぶんが本当に何をしたいのか、まったくわからなかった。

ただひたすらに、探して探してもがいてもがいて苦しかった。




学歴にはまったく興味がなかったけれど、
世間にでて、世の中の人は予想以上に関心が高いことに
おどろいた。


恩恵を受けていないといえばウソになってしまう。

でもあえて言えば、知識はすべて無駄であったともいえます。



勉強ができたことで、確かに自信につながり、いろんなことにチャレンジすることも
できた。


でも反面、やはりだいぶ傲慢で批判的で暴力的(思考が)な
ニンゲンになっていたとも思う。



好きなことを仕事にしたけれど、どんどん稼がなくては、稼がなくてはという
典型的な利益追求社会で力を出して、上司を辞めさせ、社会的弱者なんて
まるで目もくれなかった。



ちょっと学歴が高いくらいの人って一番カンチガイな人が多い気がするでしょ?(笑)



でも結局、じぶんのエゴが膨らめば膨らむほど、会社が潤い、収入が増えるほどに
苦しくて苦しくてたまらなくなっていった。



20代、多くを経験して、もがいて抵抗して、突き進んで、叩きのめされて
苦しんだ末に行き着いたのが、自然農だったわけですが。



でも今まで出会った魅力的な人たちは、やっぱり感性で生きている人だったなぁ、
とつくづく思う。



アーティスト信望者のある方に
「お前はしょせんインテリ」と言われて妙に傷ついた思い出がある(笑)







いま、この時。

本当に私たちが変わらなければ、全てが終わってしまうこの時代に
生まれてくる、私たちの赤ちゃん。



この新しい時代を生きていくこども達のためにも、母になる私は
真剣にならなければと今おもっています。



今現在、国や世界を動かしているヒトの多くは、こうした感性の曇った
お勉強のできるおバカさんたちです。


その現実を冷静に直視する。




そして


何かや誰かを批判している時間はない
(と言い聞かせる・笑)



あおりまくる恐怖や不安にかられている時間はない



すべては自分次第。



生まれてくる子どもの未来を、今わたしも一緒につくっている。



今日わたしが何を食べて、

何を着て、何で洗って、何を考えて、何を本当に望んでいるのか。


その全てが未来を作っている。






‘センス(感性)’の時代。

‘英知’の時代。


ガンダーリの認知真理学も言っています。

真理は、
(限りなく近づくけれど)いかなる学問にも宗教にもない。


すべては自分自身の中にある、と。



○ ○ ○ ○



「もし英知、感受性を持っていないと、知識は非常に危険なものになる。


それは破壊的な目的に利用される。


これこそ世界中で行われていることなのだ。



君たちは問い、見出そうとする英知を持っているだろうか?



大地の美、汚れや不潔を見、


また内部の出来事、自分がどう考えているか、



思考の微妙さをどう自分が観察しているかを見守る




この英知をもたらすために何をしているだろうか?


もししていなければ、

教育がいったい何になるというのだろう?」

(『英知の教育』J・クリシュナムルティ)

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