2012年3月31日土曜日

さいごの家族旅行



実家の両親と
5月に結婚を控えた姉と、7月に出産を控えた私と、
10年以上振りに全員揃っての
さいごの家族旅行にいきました。

思えば今こうして家族4人そろって旅行するなんてキセキ…


こどもの頃から父はとにかく暴君で、
母には常に一方的な命令口調。

酒を飲めばますますエスカレートして、怒鳴り散らし、時には
テーブルをひっくり返し(笑)、物が割れ、誰かが怪我をし、
女3人いつもどこか怯えていた。




でも表向き家族は円満で、母の妹家族、大好きないとこたちと
毎年夏とお正月に会うのが楽しみだった。


でも父の事業の失敗、ますます荒れていた父は、ある年のお正月
ついに決定的に親戚のつながりを断ち切って、大好きな従姉弟とも
絶縁状態になってしまった。


思春期の頃には、家庭内別居が始まり、
高校生になる頃には、母は仕事で家にほとんどおらず、姉も留守がち
家の中は寒々しく、閑散としていた。


母は別れたくても「あなたたちが大人になるまで」の辛抱と言っていた。


女も自立ができさえすれば、嫌な男と無理に一緒にいる必要もないのだからと
私たちに‘自立できる女になる’よう、口を酸っぱく言い続けた。





わたしは父が怖くて、愛された記憶はほとんど無かった。


でもひとつだけ、事業を失敗し、生活費を稼ぐため、夜勤の仕事を始める時に
「お前たちに淋しい思いをさせてごめんな」と言って
抱っこしてくれた。

私は淋しいとは思わなかったけれど、そういう思いを父が持ってくれている
ということがなんだか凄くうれしくて、父をかわいそうだと思った。

抱かれて守られていると、初めて感じた記憶が、最初で最後だった。




大人になってからも、父は変わらなかった。


私は大嫌いだった父にそっくりそのまま、荒れ狂った。

父に似ていると言われれれば言われるほど(笑)
ますます父が許せなくなった。




母は私たちが「大人になった」のに、別れなかった。


私には理解できなかった。


でも、母のためにも、父に変わって欲しかった。

母に優しくして欲しかった。



でも父は変わらなかった。





私は相変わらず父とは疎遠だった。
顔を見るのも嫌だった。


ある年のお正月、母を突き飛ばし、頭に5針の怪我をさせてから
お正月も実家に帰らなくなった。
父はまったく反省していなかった。



ある年、父は病気になった。
重い病ではなかったが、半身に少し不自由ができた。顔もますます歪んだ。
でも父は病気が治らないのは医者のせいだと、医者を罵り続けていた。
鍼灸に行っても改善しなければ、鍼灸師を罵った。


でも私も成長して、父も大変な家庭環境に育ち、
愛されることを知らず、愛しかたを知らない人なんだと、少しずつ気がついてきた。



私たちは、母の膨大な愛に包まれて育つことができた。



父をかわいそうだなと少し思うようになっていた。




大好きな人と同居、結婚するにあたって、嫌々ではあったけれど
父に報告した。


父はとても喜んでくれた。



父が病気のとき、私は何一つやさしい言葉もかけられなかった。
なのに父は「俺のことはいいから」と言って、そのことを一切非難しなかった。

「なにさ!」と思いつつ、すごく申し訳なくて哀しかった。




父の暴君ネタは、将来君にもけっこう面白おかしく話してて、
二人の間では笑いのネタだったんだけど、
いざまた目の前で父が暴君ぶりを発揮する時があると、
私は固まっていたらしい。

笑い飛ばすのかと思っていた私が、固まって小さくなっていたので
将来君は驚いたと言っていた。



三つ子の魂 百まで じゃないけど、大人になって
「もう怖くない、笑っちゃえばいいじゃん」と頭ではわかっていても
‘いざ’というときになると、体はまったく違う反応をするらしい。

それは脳の作りがそうなっているかららしいが、言われて私も初めて気がついた。




動物は自分の身を守るため、「危険だ」と思った記憶をより鮮明に
身体に覚えさせるらしい。

人間も動物だからいい思い出より、嫌な思い出の方が消えにくい。






些細なことでも、幼い頃の強烈に父を恐れ、憎む感情が瞬時に沸き上がってしまう。



でもそれを冷静に何度か見つめられるようになるにつれ、
なにかが変わってきた。


父は変わらなくても。


ここまで自分が生きてこれたこと。
父への感謝の気持ちが自然とわいてきた。




結婚してから、お正月に実家に帰るようになった。
もう一人じゃないから、怖くなかった。
でもいつも、実家に泊まると頭が痛くなって、今の住まいに帰ると喘息が出た。


結婚して初めてのお正月。
石田家の両親が、実家に来てくれた。


それまで、毎年のお正月といえば・・・・、
湯水のように飲まれる酒・怒号・暴れ・果てはパトカー、、、
なんていう実家だったから、
義父母が来てくれるのは嬉しいけれど
どうなることかとヒヤヒヤだったけれど、
なんと父は終始おだやかでよく笑い、
生まれて初めて信じられないくらい平和なお正月だった。


石田家のお嫁さんになれたこと、本当に本当にまたあらためて
嬉しかった。



それからもちょっとした暴君ぶりは健在だけど、
今回旅行にいき、あらためて家族4人がみんな揃って、しかもみんな元気で健康で
そして姉と私は本当に幸せで、ありがたいなぁとしみじみ思った。

母の大きな愛、そして忍耐。
父もきっと、忍耐(笑)





冒頭の写真は、生まれたての私と、姉と母。
撮影は父。


超音波で見えたママディの頭の形が私とソックリ!と母がいうので
あらためて自分のアルバムを見てみた。(ほんとソックリ・笑)




今までは写っている親の顔はあまり見ていなかったことに気づいた。

もう少しで親になるからか、あらためて写っている両親の顔をみたら
なんて幸せそうなんでしょう(笑)



愛された記憶がないと思っていた父。

聞けば父があまりに私を可愛がるから、母が赤ちゃんの私に嫉妬したほどだとか(笑)



めずらしく母に甘える姉。
いつも母の一番そばはチビの私が占領してたんだね、ごめんね。



元気な頃のおばあちゃんと。



写っているのは3人が多いんだけど、その向こうにいつも、お父さんがいたんだね。

母のこんな輝くような笑顔、父を見ているなんて今じゃ信じられないけど(笑)



私たちは父をけっして変えることはできなかった。


でも私たち、姉と私の娘たちが今、心から幸せであることが、父の何かに、
すごく触れている気がする。



私たちは誰も、何も変えることはできない。
自分が変わる以外は、ということをまた身をもって感じることができた。

たとえ血をわけてもらった父、母でさえも。



姉と私はまるで双子のように心が通じている。

姉の幸せが、ほんとうにほんとうに嬉しい。



今のこの私たちがあるのは、
母の膨大な愛の結晶。
父からの大きな学びの結末?


あらためて、私たちを生み育ててくれてありがとう、
お父さん、お母さん。


お父さんとお母さんも、どうか幸せでありますように。

2 件のコメント:

  1. そうだね、変われるのは自分だけなんだよね。それも難しいけどね・・・
    幸せになれてよかったね^^

    返信削除
  2. シャラン♪さん、ありがと☆
    そー自分が変わるのが一番ムズカシイ、、、、でも別に変わる必要もほんとは無い気がする。
    自分に正直にいたら、自然といい方に行くような、そんな気がする(^ ^)/

    返信削除