2011年4月12日火曜日

日本と日本人のわたし

3月11日、わたしたち夫婦はアフリカのギニアにいました。


電気は2,3日に1度、6時間くらいしかこないし、
水は毎日井戸から汲む生活がアタリマエの国。


このことは、きっと何か意味があるんだろうと思いますが
まだよくわかりません。






原発の事故。


もちろん東京電力の責任はあると思いますが、
この日本で、原発を必要としていたのは
まぎれもなく私も含む日本人のみんなです。


何もかもが行き過ぎている日本。



自然農をする私たち夫婦を、イシちゃんが手伝っている
慣行農法のお父さんは
「生まれてくる時代を間違ったねぇ」と言うけれど、
今の時代に生まれたからこそ気づいたんだよね。
「もうちょっと戻って、もうちょっと自然に寄り添ったほうが
 いいよ」と。



原発事故は必然だったし、今でなくてもきっといつか
起こった事なのかもと思います。


その昔、天災は、神の、もしくは大地の怒りだと思われていた。

風神雷神・・・・



でも今は「カガクテキデータ」を元にいろいろ左脳でいじくられ、
神の怒りはどこかに追いやられてしまったけれど、

わたしは天と地の怒りと哀しみを感じる。



なんだか学童保育のこどもみたい。

サミしさやカナしみを、うまく表現できないで
怒りとともに泣きながら暴れるこどもたち・・・・・・・・

「気づいて」



無意識のところから、メッセージをだしてきます。





自然という神を前に、
私たちは本当にちっぽけで無力な存在。


だけど、ひとつひとつの命は本当にユニーク。
唯一無二かけがえのないもので、同時に
なによりも尊いもの。


その命たちが、2万個以上も、いっせいに逝ってしまった。


きっと死ぬのは怖くないような気がするけれど、
残していくもの、愛する人を思えばこそ
命の最期は寂しくて悲しい気がするから、



わたしたちも悲しいのはしょうがないよね。と思った。


先週までなんか悲しいキモチが消えなかった私も、

みんなが喪に服してもいいではないか、と開き直ったら
少し楽になった。





生きているわたしたちの世界はムジュンという原料から
できています。


原発は反対して、計画停電には腹を立てる矛盾。


矛盾の中に正義を見つけようとしても、また矛盾を
見つけるだけ。



人って本当に感情的な生き物だなぁと、我ながらつくづく
思いましたね。

ぜんぜん理性的じゃないです・・・・・・


地震のように情報に感情を揺さぶられ、
津波のように感情に飲まれる・・・・・

不謹慎だけどほんとうに。



有事がおこると動物は「闘争か逃走」を選びます。


動物としてもちろん種の保存のため。

人は愛するものを守るため。


今まさにその動きがうずまいています。




どちらにも行かないとき、固まります。
殻に入ります。

もしくは根を生やします。





もし将来、わたしは新しい未来に生きる命を、
この身体に宿すことができるのならば
もしかしたら、今、もう
逃走したほうがいいのかもしれない。。。


オンナは感情で動くから、一人だったらとっくに
どっか行っちゃったかも。


でも将来君はどしんとして、まったく動じる気配なし(笑


ただただ翻弄される私を見て、
まずは冷静に放射能について知ることを勧め、
怯えてキャンキャン吠える私を鎮める手腕はさすが(笑


レベル7ということですが、
放射能について、みんな自分でいろいろ調べてみると少し
気持ちが違うと思います。


いろんなソースから。

一人の人の意見ではなく。






そして畑にいくと、ミョウに安心する。

アタリマエに草が生えてきてて、カブや小松菜は菜の花つけて
種のこし。

冬眠から目覚めたばかりのまだ茶色いカエル君たちが
ぴょんぴょん跳ねる。




自然はそんなにヤワじゃない。




さてもし今後原発が爆発して、完全にこの土地が汚染されても、
じゃあどこに行くのか?



ここを捨てて我が身安全な場所へ、国外へ逃げるのか?



そのときになってみないとわからない。




ほんとうに正直いうと、原発事故を聞いたとき
「専業農家じゃなくてよかった・・・」と思った。


でも同年代、もしくはもっと若い子達で、千葉の近所で専業農家
をしているみんな(しかも赤ちゃん連れ多し!)の、
地に足つきっぷりをみて、ほんとうに自分がハズカシーと思った。


わたしはここで自然農をつづけます。
とりあえず今は根を生やします。



私たちの畑にも、春が少しずつ目覚めています。

ゆっくり ゆっくり

・・・・・・・・・・・



ギニアに行って、まだまだ自分がいかに左脳人間だったかを
またあらためて感じました。


魑魅魍魎とともに暮らしているボラ村の人たちは
同じヒトとして、逞しく美しかった。



日本に生まれ育った私は、やはり日本人で、
この国を愛しているし、好むと好まざるとにかかわらず
きっと死ぬまで日本人だから。



いつも黒い人たちの国に行くと、母国日本に帰りたくなくて
仕方なくなる私ですが、今は自分たちの畑があると思うと
こどもを思うような気持ちで日本に帰りたいなぁというキモチが
あることを不思議に感じていました。


うーんでもやっぱり第三世界が好きだけど。。

ものは少ないし、不便だけど、人がいっぱいいて
篤いココロがぶつかりあう毎日。
どうしても惹かれる。


しょうがないね、ムジュンの世界。



でも心の奥には、日本に生まれて、日本人でよかったな
と思う自分もいる。
これもやっぱり宿命だ。


いま色んな迷いの中で、色んな決断をしている人がいると思うけど
それはやはりそうなるべくしてそうなっているんだと思う。



日本はこれからどんどん変わるだろうな。

きっといい方に。



すべてはよきことの為の必然だから。

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